忍法 木の葉隠れ 自分の価値観を勝手に綴るブログ

自由、人間、読書、教育、相場、遭遇。大衆に流されずケモノ道を進んでゆく生き方

今も昔も変わらない

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他人を批判する人ってレベルが低い証拠。

私も人のことを言えたものではない。

 

他人は自分の鏡ともいう。

 

・商品を購入すれば、いいことは書かないのに、

 悪いところだけを指摘してレビューを書いたり

 

・ニュースを見ればあいつは駄目だのなんだの

 交通事故が増えたとか、不正が増えたとか、犯罪が増えたとか

 SNSや記事にコメントする

 

・企業が新しいサービスを始めれば

 金儲けだからけしからんとか

 

・震災で芸能人が被災地支援すれば売名行為だのなんだの

 

 

ココでいいたいのは批判が悪い

ということを言いたいのではない。 

 

他人を批判したい、ということは自分の不満が募ってて

もどかしい気持ちを八つ当たりでぶちまけてる、

というところもあるのかもしれない。

 

人間の欲求や快楽、不満や嫉妬などの感情って

脳を持ってる限りみんなあるもの。

文句をいいたくなるのは脳がストレスから守るための防衛機能で、

 

・お腹がすいてておにぎりがあったら食べたくなる

・疲れてて休める時間があったらうたた寝をする

・好みの異性がいたら仲良くなりたいなと思う

・痛みがあったらその部位を丁寧に扱おうとする

・恐怖があればその危険性を避けようと行動する

 

それと同じく、人間のごく自然な行為だと私は思う。

 

欲求不満があると不満をぶちまけてバランスを取ろうとする

その一つが批判するということなのだろう。

 

 

会社でも、仕事ができない部下がミスばかりしていると

想定通りに進まず、イライラしていて八つ当たり、

ということもよくある。

 

 

現代は、スマホの登場と情報の洪水で

気軽に他人の動向がハッキリと見えるようになって

さらに、ネットにコメントができるインフラが整ったから

気軽に不満をぶつけることが可能になったのだ。

 

・技術が進化して、気軽に色んなニュースに

手軽に触れる事が可能になったから、それが可視化されるようになった

 

・社会が発展して、気軽にいろんな商品を購入できる幅が広がったから

商品に対する不満が出る機会が増えた

 

・技術が進化して、不満を気軽にコメントとして

ぶちまける事が可能になったから、目に触れられるようになった 

 

 

そう考えると、昔から各自不満はあったけれど、

みんなが不満を持っていることも表にでてこなかったし、

あっても表現する手段がなかったから出来なかった、

出来たとしても目に触れる手段がなかったので知らなかっただけなのだ。

 

 

昔は、不満があったとしても家庭内で済ませたり、

ギャンブルや嗜好品に走ったり、

他人の目には触れられない所で

当時に合った発散方法があったのだろう。

 

そう考えると、今も昔も変わらないのだ。

 

 

 

同じような話で、

最近の若いものは・・・

これだからゆとり世代は・・・

 

という年配の方がいるが、

時代は常に変化している。

変化しているからこそ古い人間にとっては

これまで生きてきた固定観念を壊して新たに受け入れる

という事が難しくなる

 

昔は昔で当時の年配者から最近の若いものは・・・と

その時代、その時代で、言われ続けてきたのだ。

 

 

今も昔も変わらないのだ。

 

 

この話を聞いて、

・人間ってなんだろう?

・考えるってなんだろう?

・感情ってなんだろう?

色々な疑問を解決したくなる。

やはりそこが本質なのかな。

 

これからも物事の本質と上手く付き合っていきたいと思う